今、日本で外国人問題が大きな話題となっている。
欧米でも反グローバリズムが話題となっている今、
日本はどうやって欧米列強の侵略を防いだのか?
結論から言えば、豊臣秀吉、徳川家康という英雄が、
日本に軍事大国にして、外国に武力での侵略を諦めさせたからだ。
現在、日本人として植民地にならなかったのは、
偉大な先人のおかげだと感謝している。
この本を多くの日本を愛する人々に読んでもらいたい。
15世紀依頼、スペインやポルトガルは、
キリスト教布教と一体化した「世界征服事業」を行った。
アメリカ大陸を征服した後、
16世紀にはアジアに勢力を広げた。
豊臣秀吉は、なぜ朝鮮に出兵したのか?
徳川家康は、なぜ”鎖国”へ転じたのか?
日本は、なぜ植民地されなかったのか?
一次資料を通じて戦国日本と欧米列強の駆け引きを描く。
世界史と日本史が交わる地点、
教科書では、決して触れない事実がある。
Contents
大航海時代と世界の植民地化
14世紀から始まる大航海時代は、
スペインとポルトガルが世界中の国を
侵略し植民地化していた。
朝鮮出兵をめぐる従来の理解
秀吉はなぜ朝鮮出兵したのか?
現状、多くの人が信じているのは、
全国統一した秀吉が海外の領地を求めて侵略したという説だ。
秀吉が年老いて誇大妄想を持ったとも言われる。
なぜ日本は植民地にならなかったのか
大航海時代、アメリカ大陸、多くのアジア地域が植民地になった。
なぜ日本は侵略されなかったのか?
秀吉が全国統一をした時代、
当初、スペイン・ポルトガルは日本を武力で支配しようとした。
しかし、戦国時代から軍事大国化していた日本を武力で制圧できないと考えた。
そのため、キリスト教の布教により、
日本の内部から侵略しようとした。
秀吉は、スペイン・ポルトガルの策略に気づき、
バテレン追放令を出してキリスト教の布教を禁じた。
それができたのは、朝鮮出兵で強力な軍事力をスペイン・ポルトガルに見せつけていたからだ。
家康も当初、当初キリスト教を容認していた。
徳川秀忠の時代になりキリスト教の布教を禁じた。
貿易も長崎の出島のみとする”鎖国”政策を取った。
軍事力がなければ、外国の圧力に負けてできなかった。
日本は外国から”帝国”と恐れていたから独自の外交を行えた。
まとめ
豊臣秀吉がなぜ朝鮮出兵したのか?
結論はポルトガルとスペインによる世界分割支配に対抗するためだった。
歴史学会では、朝鮮出兵を侵略というだけで論じている。
朝鮮出兵を朝鮮・明国と日本の関係だけでなく、
ポルトガル・スペインの動きと関連づけることで、
歴史の因果関係が見えてくる。
どの視点に立つかによって、
歴史の見え方は変わってくる。
歴史の解釈は固定観念で語られるべきでない。
歴史は多様な解釈が可能だからだ。
追伸
2024年に米国でSHOGUNというドラマが大ヒットした。
徳川家康をモデルにした主人公の物語で、
1980年にヒットし日本でも放映されたリメイク版だ。
かなり史実に忠実な小説を基にしたドラマなので、
文章が苦手な方におすすめしたい。
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